Somewhere in the world

感じたこと、みたもの、聴いたものをつらつらと書いていくブログ

7年経って思うこと

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 震災から7年が経った。この年月は人によっては「まだ7年」「もう7年」と思うかもしれない。

 

わたしは「もう7年経ったんだ」って思う。

わたしの地元は特に津波の被害がひどくて、震災のニュースで耳にしたことがあるかもしれないところです。

あの日は中学の卒業式で、吹奏楽部に入っていたわたしは演奏で先輩を送り出して片づけをしたあと家に帰った。そのままお姉ちゃんとマック買いに行ったら店員が注文間違えてるし、自転車に積んでたせいでジュースがめちゃくちゃこぼれてたのでお姉ちゃんはブチ切れてました。

 

お姉ちゃんがブチ切れながらこぼれたジュース拭いてる横でわたしはポテトを食べてた時にいきなりすごい揺れがした。

体感的にすごく長い揺れで、「あーこのまま14歳で死ぬんだな。まだ死にたくない」とか考えて半狂乱になりながらテーブルの下で隠れてた。あの時は津波で建物の崩壊があったので今考えると少ないけど、ガチでドリフみたいに床が抜けて死ぬんだと思ってた。

 

お母さんと弟とは数時間後に再会できたからよかったけど、当時海辺の小さい学校で教師をしていたお父さんから「大丈夫」ってメールが返ってきたきり何のメールも無かったので私たちはお父さんが死んだときのことも覚悟してました(震災から3日後くらいに家に帰ってきて、お父さんの学校の生徒たちも全員生きてました)。

 

夜は電気もガスも水道も止まっていたからラジオをつけっぱなしにしていた。数時間置きにくる余震が怖くて家の外に出て見上げた夜空が、本当に今まで見たことがないくらい星がたくさん輝いていました。あの夜空以上に綺麗な星空を未だに見たことがない。

 

わたしの地域は幸い津波もこなくて電気と水道とガスが止まっただけで済んだけど、人の優しさが本当に身に沁みたな。

あんまり話したことない向かいの家の人から甘食を分けてもらったり、食料の配給で並んでたときおじさんに新聞を貸したら飴もらったり。もちろん「あそこのツルハで商品が大量に盗まれた」とかそういう噂はあったんですけど、人に優しくしてもらったことは忘れられない。

 

まだ仮設住宅に住んでいる人がいたり、津波の被害を受けた小学校がそのままになっているところもあります。わたしの知り合いも震災で妹を亡くしたり、友人を亡くしました。あの震災でほとんどの人の人生が変わり、何より震災以来強く思うようになったのは"わたしもわたしの好きな人たちも明日は今日と同じように生きているかわからない"ということです。

だからこそ一日一日を大切に生きたいし、震災のことを忘れたくない。